2007年1月28日日曜日

なぜ御所浦説?

 事の発端は、民族史料の御前石の記事を読んだ事から始まり、石に対しての古人の考え方が大変重要なものなのじゃないかなと思ったからです、自然神とも深いつながりを持つはずだと考えから大量の自然石神の点在する水俣説をとなえたものの、御所浦説にかえます。天皇が一時期ごしょを置いたからという説があり、ゆりかご浦といわれた、この湾に的を絞ります。崩していくところは
恐竜の化石以外に変わったものが残っていなかったかと、海のなかに何かないかの二点です。

1 件のコメント:

antique さんのコメント...

なんと、水俣乗越と水俣川と言う地名が長野にあるらしく、私が山登りやってれば、すぐ気がついたのに、ところで、この関係は、どう繋がるのか楽しみです、今はちょっとおいておくことにします。