2007年1月28日日曜日

石室の材料、技術

水俣の石切り場から、八代まで石室の材料として運んでいます、あるブログでは材料だけではなく技術者も運んだのではないかと言っています、職人が水俣に住んでいて、水俣で需要があれば邪馬台国に近くなりそうな気がするのだが。需要=高官の住む町になればおもしろいと思いませんか。

6 件のコメント:

antique さんのコメント...

参考にさせてもらった、あるブログの本家を発見、熊本県内にとどまらず、色んな地域で、大崎の安山岩が、ほんの一時期だけ、壁体を主に使われいた可能性が大いに出てきているみたいだ、本家のサイトの先生は、次第に地元の石を使ったとあるが、特別な人を埋葬するときだけ特別に水俣から運んだと推測してもいいんではないだろうか?それと、肥後型石室は、朝鮮に似たものがあるらしいが、独自に生まれた石室文化の可能性も残されているらしい。

antique さんのコメント...

肥後南部から石室が生まれたのは間違いないと、力強い発言もあります、そして
吉備地区まで影響が見られている、考古学会では、熊襲や隼人の野蛮な民族から
高度な石室文化が、発信されるのは今のとこタブーらしい、邪馬台国があれば問題ないんだから。余談ですが、初野古墳は他と変わっているとこがあって、貝塚=縄文時代という見方を打ち破ったらしい。

antique さんのコメント...

西都説のブログに気になるものを発見!吉備から奈良に移住する者があった。唐子・鍵遺跡からのものらしいが、これで
水俣ー吉備ー奈良がつながった、つながったかな細い糸で、、、。

antique さんのコメント...

俣やる気が、もどってきました、熊大の学者の卵のサイト、徒 然 な る ま ま にでこのようなコメントがあります、「水俣周辺にもっと古墳はないのでしょうか。現状で知られている古墳分布が真の姿を示しているのかどうか、いつか検討されるべきだと、私は思っています」えらい!早く偉くなってください、重要なポイントになるであろう産廃処理場は2,3年先には工事がはじまりそうです
、後5,6年早く生まれてたら、助教授ぐらいにはなって、水俣で大発見できたんですが。

antique さんのコメント...

ひぇー、写真が若い人だったので学生かと思ったら、助教授の方が執筆されてました、先生、急いでください、水俣で調査を開始してください、埋蔵文化財担当なんて相手にしないでください、国のプロジェクトみたいな産廃処理場開発が始まろうとしてるのに、永久に小田代近辺は掘り返すことは起こらないです、コッソリ熊本大学考古学研究室でやってください、先生は出世コースから外れるかもしれませんが。

antique さんのコメント...

あくまで、コメントは私が勝手にサイトを見て、勝手な思いで書いています、願いが届けという事で。